十年以上続く西田幾太郎『善の研究』の入門講座や読書会の内容を、できるだけその雰囲気を残しながら文字にした本があります。
本日紹介するのは、立命館大学史学科卒業、金沢大学大学院文学研究科修士課程(比較思想研究室・インド哲学)満期退学、現在は金沢大学非常勤講師、立教大学文学部・大学院21世紀社会デザイン研究科准教授の大熊玄さんが書いた、こちらの書籍です。
大熊玄『善とは何か : 西田幾多郎『善の研究』講義』(新泉社)
この本は、今から百年以上前に書かれ、日本で最初の哲学書と言われる西田幾太郎の『善の研究』について、入門講座を開催している著者が、現代口語訳のような解説文として書籍化したものです。
本書は以下の13章構成から成っています。
1.人間の行為を、心理学的に、意識現象(とくに意志)として考えてみる
2.人間の行為(=意志)は、科学的だけではなく、哲学的にも考えるべきだ
3.意志の自由とは、選択できることではなく、自己の内から必然的に出てくること
4.実在は、理論的にだけでなく、価値的に考えてこそ、真に理解できる
5.直覚接―「善は、そのまま明らかにパッとわかるものだ」?
6.権威接―「善は、とにかくエライものに従っていることだ」?
7.合理説―「善は、知的に理屈で判断できるものだ」?
8.快楽説(功利主義)―「善は、幸福度や快楽量で測れるものだ」?
9.活動説(主意説)―「善は、自己(意志)が現実化・完成することだ」?
10.統一する力としての「人格」や「理想」という視点から、善を考える
11.善い行為は、いかなる動機でされるのか(その内的な仕組み)
12.善い行為で、いかなる結果を求めるのか(その具体的な中身)
13.どんな境遇や能力の人であっても、完全な善行はできる
この本の冒頭で著者は、哲学書を読むことについて、「哲学書というのは、なかなか一読してすぐにわかるものではありません。」と述べています。
でも、その「わかりにくさ」を楽しむことができれば、哲学書を読むことができるようになるそうです。
古典的な哲学書はそのように時間をかけて自分を鍛えてくれる本なので、プロセスを楽しむものだ、としています。
それを著者は、登山の楽しさに例えていて、山を登っていく面白さや楽しさを伝える登山道のガイドがいるように、この本は難しい哲学書を読むプロセスを楽しむ道案内のようなもの、ということです。
結論(山頂の景色)だけを知りたい人は、登山道を登るのではなく、ロープウェイで頂上に行く方法もあり、それはそれで著者は否定しない、と述べています。
『善の研究』は、西田幾太郎がまだ30歳代の若いときに書いたもので、最終的な結論というわけではありませんが、75歳まで哲学書を書き続けた西田の原点であり、日本で最初に書かれた、独立した哲学書という意味で、ぜひ最初に読むべき本だ、と著者は勧めています。
本書は、『善の研究』の第三編「善」を扱ったものですが、各章ごとに学校の講義をイメージできるコンパクトな長さにまとまっていて、ちょうど大学の一コマの講座に相当します。
この本のおすすめの読み方として著者は、まず第三章と第九章を読んで、その後にその間の第四~八章を読んでみると、各倫理学説と西田の自説の関係がさらに明らかになる、としています。
そしてそのあとに、第十章と第十三章を読み、その間の第十一章、第十二章を読めば、西田の考える「善なる行為」がより把握できる、と著者は述べています。
最後に、第一章、第二章に戻ることで、この第三編「善」がどのような意図で始められたのか、西田がどうやって学生たち(読者たち)に彼の考えを伝えようとしていたのかが、明らかになります。
この本を読むことで、哲学書を読む「プロセス」を楽しみ、「善い行い」とは何なのか、皆さん一人ひとりがじっくりと考える機会としてみませんか。
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では、今日もハッピーな1日を!