「ロケット」と称された爆発的な着想力が、電子立国日本の未来を切り拓き、孫正義の恩人で、スティーブ・ジョブズが師と仰いだ日本人エンジニアを描いた本があります。
本日紹介するのは、日本経済新聞社産業部記者、編集委員、「日経ビジネス」編集員などを経て独立したジャーナリストの大西康之さんが書いた、こちらの書籍です。
大西康之『ロケット佐々木:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮社)
この本は、1977年にアメリカでスティーブ・ジョブズや孫正義に会い、LSIの進化によりコンピュータが小型化し、情報革命を起こす起爆剤となった電卓戦争の雄、シャープの専務取締役(当時)だった「ロケット佐々木」こと佐々木正さんの半生を描いた書です。
本書は以下の9部構成から成っています。
1.孫正義の「大恩人」、スティーブ・ジョブズの「師」
2.台湾というコスモポリス
3.「殺人電波」を開発せよ
4.アメリカで学んだ「共創」
5.早川電機への転身
6.「ロケット佐々木」の誕生
7.電卓戦争と電子立国への道
8.未来を創った男
9.独占に一利なし
この本は、佐々木正の父・八二郎が台湾に渡って、呉服店を構えるところから始まっています。台湾で育った佐々木正は、小学校時代に後の李登輝総統とも知り合い、交流を続けることになります。
その後、正氏は京都大学に進み、電気工学、それも当時は主流ではなかった「弱電」を学びます。「弱電」は電子の動きを研究するもので、大学3年でドイツへ留学します。
こうした小さい頃から海外で過ごし学んだ体験から、佐々木正氏は、国際的な感覚を身につけていたのでしょう。
京都大学で研究者になる道を嘱望されながら正氏は逓信省へ入り、電話機のスタンダードを作ったり、その後も才能を発揮して次々と新しいことを成し遂げていきます。
軍需工場でも才能を発揮した正氏は、戦後もGHQに呼ばれて、アメリカの工場視察でQC(品質管理)を学んだり、真空管からトランジスタの時代へ向かう中、ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈を育てました。
その後、早川電機の創業者・早川徳次、専務(当時)の佐伯旭のふたりに料亭で説得され、佐々木正は早川電機に転身することになります。
そして、「早川電機に佐々木あり」と言われるほど、佐々木正さんは経営が厳しかった早川電機で活躍し、やがて開発パートナーから、その発想の広さと速さに「ロケット佐々木」と名付けられることになりました。
また、当時ベンチャー企業だったインテルの創業者ノイスに、佐々木正氏は発注先を紹介するなど救いの手を差し伸べ、LSIから、後にパソコンのOSでスタンダードとなるMPU開発に道を開くきっかけを与えました。
その後も、佐々木正さんのもとには、西和彦、孫正義、スティーブ・ジョブズなど、IT業界で大きな影響力を持つ人たちがこぞって相談に行っています。
佐々木正さんは、経営破綻の危機に陥った、後のシャープについて、「シャープの第一の失敗は、何でもかんでも一人でやろうとしたことでしょう。オンリーワンやブラックボックス戦略はいささか傲慢だ」と述べています。
「イノベーションとは、他の会社と手を携えて新しい価値を生み出すことを言うんだ、シャープはそうやって大きくなってきた。」と佐々木正は言います。
「わからなければ教えを請う。請われれば教える。人類はそうやって進歩してきたんだ。技術の独り占めは、長い目で見れば会社にとってマイナスになる。」
ほんとうにグローバルな視点で技術を見られる天才エンジニアの言葉には重みがあります。
この本を読めば、シャープが実質的に経営破綻した、ほんとうの原因がよく分かります。
佐々木氏は、シャープの今後について、「液晶はもういい。ロボットをおやりなさい。」とアドバイスした、と言います。
2020年東京オリンピックでシャープのロボットが、訪日外国人客をもてなす姿をイメージしていたようです。
ほんとうに先を読める人で、成功したIT業界の経営者は皆、ロケット佐々木に学んでいるのは偶然ではない、考えざるを得ません。
佐々木正さんは、2018年1月31日、肺炎のため102歳で逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
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では、今日もハッピーな1日を