「死を迎えるのはたった一度だし、死は死ぬ時にしか体験できない。」「死は最大の不幸であり、恐怖である。それはなぜかという理由を自己に問うことから、死を学び、死の予行演習を始めることにした。」と述べている本があります。
本日紹介するのは、1944年静岡市生まれ、京都大学法学部卒業後、京都の東福寺専門道場で修行、妙心寺派教学部長、同布教師会会長、花園学園事務局長などを歴任し、現在は臨済宗妙心寺派宝泰寺住職、文化発信の場「サールナートホール」館長、「こころの絆を育む会」代表の藤原東演さんが書いた、こちらの書籍です。
藤原東演『自分らしい死に方 禅僧がたどり着いた死の実相、生の極意』(成美文庫)
この本は、死を学び、死の準備をするために実践すべきこと、著者なりの実践経験を記し、その結果、自分らしい死に方を模索した書です。
本書は以下の7部構成から成っています。
1.生き方が死に方を決める
2.死はなんとしても悔しいが怖がることはない
3.大切な人の死ーつながりは消えない
4.自分はどのように死んでいくのか
5.自分は死んだらどうなるのか
6.どんな「死後の自己」を家族や友に残すか
7.「大いなるいのち」に包まれて死生する
この本の冒頭で著者は、「死を学ぶことは、生きているこの日々をどう自分らしく生き切るか、一度限りの人生をどう歩むべきかということに直結していることも確信した」と述べています。
本書の前半では、「生き方が死に方を決める」および「死はなんとしても悔しいが怖がることはない」について、以下のポイントを解説しています。
◆ 人は生きてきたように死んでいく
◆ 死のベクトルに立ってこそ、生を見つめ直せる
◆ 四摂法(布施・愛語・利行・同事)を心がけたら、どんな相手の行いも抱擁できる
◆ 苦難は自分を磨く道場になる
◆ どんな出来事でも、自分の人生にとって意味がある
◆ 最後まで生きがいを持って生きることは可能だ
◆ 主体的に生きるとは、自分が人生の主人公になること
◆ 生き切った人は、安らかに死に切ることができる
◆ 病気は死の準備教育だと考える
◆ 今できることを命いっぱいにやる
◆ 老病死は人生の必須科目
◆ 死の恐怖と死の不安を識別することで自分を取り戻せる
◆ 死の受容に至る5つの心理ステージ(①否認と孤立、②怒り、③取り引き、④抑うつ、⑤受容)
この本の中盤では、「大切な人の死ーつながりは消えない」「自分はどのように死んでいくのか」および「自分は死んだらどうなるのか」について考察しています。主なポイントは次の通りです。
◆ 死者は絶えず語りかけ、その声はあなたの内部にある
◆ 亡き人は自分の中に生きている
◆ 人生が終わっても、つながりは終わらない
◆ 故人との思い出は死後も更新され続ける
◆ 尊厳ある死を迎えるためにはリビングウィルも必要だ
◆ 人の死に寄り添うことが自分の死の覚悟につながる
◆ 修行や悟りと無縁でも、安心して死ぬことはできる
◆ 人生を肯定しながらの「死にたくない」なら高らかに言っていい
◆ 霊はご先祖様となり、近くに留まって生者を見守る
◆ 死は消滅ではない、今の自分とは違う新しい命として生まれ変わる循環
◆ 自分も生命史の一部
◆ 世界は変化している、死ぬことも変化の中の一つ
本書の後半では、「どんな死後の自己を家族や友に残すか」および「大いなるいのちに包まれて死生する」について説明しています。主なポイントは以下の通り。
◆ 死後の自己をどう残すかを考える
◆ 財を残すより、心を残したい
◆ 残された人への最大の遺産は自分の生き方
◆ 偉業より長生きより尊いのは、偉業を成し遂げようとする心の姿勢
◆ 漱石のように、縁に任せて物にこだわらず、さらさらと生きる
◆ 目的や理由を忘れた「無心」や「三昧」
◆ いい生き方は残された人たちに受け継がれる
◆ ありのままを残せばいい、どう受け止めるかは残された者に任せる
◆ 死ねば個性や人格はなくなり、仏心の世界に帰る
◆ 是非の分別がある間は「信」の扉は開かない
◆ どこにいても、どんな時でも見守ってくれる存在を信じる
◆ 逆境も縁の一つ、そう受け止めれば立ち向かう力が湧いてくる
◆ 縁あればこそ、今日の命
◆ 今やっていることだけで心をいっぱいにする
◆ 大いなるいのちは、あらゆる日常の出来事に姿を現している
◆ ただの日常を無上の喜びとして生きる
あなたも本書を読んで、禅僧がたどり着いた「死の実相」「生の極意」を学び、自分らしい死に方を考えてみませんか。
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では、今日もハッピーな1日を!【2793日目】