「老い」は、いつの間にかやってくる。でも、それは衰えや終わりだけを意味するのだろうか ― そんな問いを静かに、しかし深く投げかけてくる一冊です。
本日紹介するのは、72歳になった作家・批評家の高橋源一郎さんが、自身の年齢と真正面から向き合いながら、「老いるとは何か」を思索したこちらの書籍です。
高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』(朝日新書)
本書は、老いを「遠くの問題」や「誰かの話」としてではなく、いまこの瞬間の自分自身の問題として捉え直す試みです。鶴見俊輔の『もうろく帖』、有吉佐和子の『恍惚の人』、谷川俊太郎の死、そして3歳下の実弟の死―。文学と現実、思索と私生活が重なり合いながら、「老い」「家族」「死」「ひとりで生きること」が丁寧に編み込まれていきます。
本書は、以下の3部構成から成っています。
1.もうろく
2.家族にとって「老い」とはなにか
3.二人の「俊」
本書の前半では、「もうろく」という言葉を入り口に、老いによって変わっていく身体、記憶、思考を、ユーモアと批評精神を交えながら見つめ直します。否定でも美化でもない、等身大の老いの感触が伝わってきます。主なポイントは以下の通りです。
◆「もうろく」とは衰えなのか、それとも変化なのか
◆ 老いによって世界の見え方はどう変わるのか
◆ 若さを基準にした価値観への違和感
◆ 老いることを言葉にする難しさ
◆ 老いを引き受けるという態度
この本の中盤では、老いを「家族の視点」から捉え直します。有吉佐和子『恍惚の人』を手がかりに、老いる本人だけでなく、支える側・見守る側の葛藤や戸惑いが浮かび上がります。主なポイントは次の通りです。
◆ 家族にとって老いは「出来事」になる
◆ 介護と愛情のあいだに生まれる緊張
◆ 老いる本人と家族の認識のズレ
◆ 「迷惑をかけたくない」という感情の重さ
◆ 老いが家族関係を照らし直す瞬間
本書の後半では、谷川俊太郎と鶴見俊輔という「二人の俊」を軸に、死と老い、そして一人で生き、一人で死ぬことについて思索が深まります。個人的体験と思想が静かに重なり合う、最も内省的な章です。主なポイントは以下の通りです。
◆ 身近な死が突きつける現実
◆ ひとりで老い、ひとりで死ぬことの意味
◆ 血縁と距離感についての再考
◆ 言葉が残すもの、残らないもの
◆ 老いの先にある「静かな覚悟」
本書を読んで感じるのは、老いとは「どうにかする問題」ではなく、「どう考え、どう引き受けるか」の問題だということです。元気に長生きするためのハウツーも、前向きな成功談もありません。あるのは、老いを生きる一人の作家の、誠実で静かな思考の記録です。
老いを怖れる人にも、老いを避けてきた人にも、すでに老いの只中にいる人にも、「ぼくたちはどう老いるか」という問いは、そのまま「どう生きるか」という問いに重なっていきます。
老後・高齢期・人生後半の生き方については、YouTubeチャンネル「大杉潤のYouTubeビジネススクール」でも、書籍を通じて考察を深めています。
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では、今日もハッピーな1日を!【3998日目】