書評ブログ

50代から始める知的生活術とは?

「人生二毛作」の生き方を提唱し、「50代から始める知的生活術」を紹介している本があります。お茶の水女子大名誉教授で英文学者、評論家の外山滋比古さんが著したこちらの本を今日は紹介します。

 

外山滋比古『50代から始める知的生活術-人生二毛作の生き方』(だいわ文庫)

 

この本は、91歳の著者が70歳代になって到達した「人生二毛作」という生き方の素晴らしさを、自らの経験を振り返って紹介している書です。これから定年退職後の人生を歩む方々には非常に参考になります。

 

著者の外山さんは東京教育大学の助教授だった時に大学の同僚とともに筑波への移転に反対し、多くの同僚が筑波大学へ移籍したにも関わらず、自ら職を辞してお茶の水女子大学の「教授」として転職をします。

 

職を失う不安はあったと、この本でも述べていますが、自ら新たな道を選んで進みました。研究面でも、英文学者でありながら、50歳を前にして日本語研究をスタートし、『日本語の論理』という本を出版しました。

 

外山さんは40代を教師の「二期作目」としてお茶の水女子大へ移籍したのですが、さらに「英文学」の勉強が一毛作目だったとすれば「日本語」の仕事「二毛作目」だと述べています。

 

以来、日本語やことばについての講演依頼も増えて、『わが子に伝える「絶対語感」』という本を出すと、子どものことばの教育に関心を持つ人たちから注意を引くようになったということです。

 

この本の構成は以下の5部に分けて、著者の「知的生活術」を紹介しています。

 

1.意気軒昂80代へ向けて
2.脳を生き生きとさせる
3.つきあいの作法
4.知的生活の知恵
5.新しい人生を切りひらく

 

これらテーマごとに語られる外山さんの「知的生活術」の中で私がとくに印象的だったのは、今でも脚力と腕力を鍛えることで脳を活性化させているという生活習慣です。

 

具体的には、外山さんの1日はまず朝の5時台から始動し、自宅を出て東京メトロ・丸ノ内線の茗荷谷駅へ向かいます。大手町・新宿方面へ向かう5時46分発の地下鉄に乗るのが日課です。定期券まで買っていて毎日乗るそうです。

 

大手町駅に5時56分に到着して半蔵門線に乗り換えて九段下駅に着くのが6時5分頃になります。そこから皇居に隣接する北の丸公園に向かい、6時30分からのラジオ体操に参加。

 

そのあと皇居をぐるりと回る周回通路に出て皇居の周りを1時間半ほどかけて散歩をします。いつもの顔見知りの人とラジオ体操をしたり、半蔵門から三宅坂にさしかかると右手に国立劇場最高裁判所国会議事堂などを望みながら歩くそうです。

 

皇居のお濠の土手は、春には菜の花でおおわれていて、いつも心動かされます。そして桜田門を抜け、二重橋前の皇居前広場の砂利をふみ、大手町駅へと向かいます。

 

地下道にある喫茶店は満席のことが多いそうですが、休日などで席が空いているときは立ち寄ってカプチーノを飲みます。再び地下鉄に乗って自宅に帰りますが、その間に歩いた歩数は1万歩を超えます。

 

この朝のウォーキングから帰ってくるのが8時過ぎになり、そこから病気がちな奥さまの分を含めて二人分の朝食を作ります。段取りがいいそうで、30分かからずに作って8時40分頃には食事が終わるので手早いです。

 

料理は昼食も夕食も外山さんが二人分を作るそうで、後片付けも含めると手や腕を驚くほど動かして鍛えられている。朝の散歩で脚力を鍛え、料理で手や腕を鍛えているので、脳は若い頃よりさらに活性化していると言います。

 

朝食の後にも用事がなければ外出して図書館で2時間ほど仕事をします。こうした「生活のリズム」が体調維持には大切だということで、定年後はどうしても自宅でダラダラとした生活が多くなる高齢者とは反対に、外山さんの生活は現役そのものです。

 

朝のウォーキングと図書館通いという「生活のリズム」をきっちりと守る習慣が、長寿と健康、気力の充実を支えているのだとよく理解できました。私も「生涯現役」をめざして「定年前起業」を行い薦めている立場として、外山さんの生き方は「手本」として参考にさせていただきたいと思っています。

 

こうした生活習慣以外にも、つきあいをどうするかとか、知的生活のための知恵など、素晴らしい話が本書には数多く出てきます。「つきあい」に関しては著者も岸信介元首相(安倍首相の祖父)が残した次の「養生訓」を守っているそうです。

 

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」

 

転んで骨折してしますのが高齢者が「寝たきり」になる最も多い原因ですし、風邪をこじらせて「肺炎」になって命を落とす高齢者は冬場に急増します。そういう意味で、このふたつを熟知して守る高齢者は多いそうです。

 

ところが「義理を欠け」はなかなか行うは難しで、実行できないと言います。とくに冬場の通夜・葬儀は寒風の中で焼香の列に並ぶのは負担が大きく、「転ぶな、風邪ひくな」を守れなくなるリスクが高まります。

 

生活のリズムや習慣の中で、やはり人生のある時期には気持ちや心構えを切り替えて、「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」を厳守することが大切になるでしょう。

 

もうひとつ、英語の次の言葉が紹介されていたのに感銘を受けました。

 

「Habit is second nature.」

 

ピッタリした日本語はないのですが、「習慣は第二の天性である」という意味です。素晴らしい言葉で、私の「座右の銘」になっています。

 

人間は生まれながらに与えられた「ネイチャー」(=天分・天性)がありますが、未熟なうちはそれを発揮できず、放っておくと「天分」を忘れてしまいます。昔の人はそれを「十で神童、十五で才女、二十過ぎればただの人」と表現しました。

 

つまり人間は天分を持った天才として生まれてくるのに、それに気づかずボンヤリ成長しているため二十歳になったら天分、天性、ネイチャーを失って「ただの人」になってしまうというわけです。

 

ではどうすればよいか。生まれつきの天賦の才が無くなっても生きていくために、「その代わりの力を自力で生み出す」という考え方を編み出しました。それが「習慣」です。

 

生まれつきの天性を「第一の天性」とすれば、「習慣は第二の天性である」というわけです。第一の天分、天性はなくなって、そのあとに自力で第二の天性をつくることができるということです。それはネイチャーが与えるものではなくて、自分の生活によって生み出すわけです。

 

生活は続けていると「習慣」になります。この習慣が生まれつきの天性に近い力を持つと言っているのが、「Habit is second nature.」(= 習慣は第二の天性である)という言葉なのです。

 

本書のテーマである「人生を二度生きる」という「人生二毛作」の考えは、この「第二の天性」に注目しなくてはなりません。

 

つまり「知識」中心、「生まれつきのまま」という生き方を変え、毎日の生活を規則正しく、思慮深く、人に迷惑をかけず、自らを成長させていく生活を続け、生活習慣をつくれば、それがすなわち、その人の「第二の天性」になる、というわけです。

 

「習慣」は1日にして成るものではありません。「習慣」と言われるものになるためには2年や3年でも短く、5年、10年かかるかも知れません。著者も30代の頃、健康不良であったことから「散歩」という生活習慣を採り入れました。

 

健康で長寿の方には、若い頃は体が弱かったという人が少なくありません。このコラムでも著書を紹介した作家の伊吹卓さんもそうでした。やはり生活の「習慣」なのでしょう。

 

みなさんもぜひ、「習慣」にフォーカスして「第二の天性」を獲得する「自分が主役の人生」を送りませんか。

 

では、今日もハッピーな1日を!